らんどの呪泉郷

語る場所がないのなら、作ればいいじゃない

オタクの心の中にはいつも呪泉郷がある。

呪泉郷、という言葉を知っているだろうか。

若い人はもしかしたら知らない人もいるかもしれない。

 

呪泉郷とは、某有名マンガ家高橋留美子先生の著作『らんま2分の1』に登場する修行場のことだ。

呪泉郷には数々の泉が存在し、その各泉に落ちてしまうと、様々な呪いを受けてしまう。水を被ると女になったり、豚になったり、パンダになったりする。そのため、修行者たちはその泉に落ちないように修練を積む。結果としてはよく落ちる。

 

身に覚えがないだろうか。そう、様々な呪いの泉こそ、我々オタクがよく沈んでしまう『沼』のようではないか。普段は落ちないように注意をはかっているのに、気がつけばいつのまにか落ちている…。

そしてまるで呪いでも受けたかのように、そのことしか考えられなくなってしまう…。

 

様々な沼に落ちた経験のあるオタクほど、心の中にはより広大な呪泉郷が拡がっているのだ。

 

 

 

 

 

思えば、私の心の中にもそれはそれは広大な呪泉郷が拡がっている……。

 

 

 

 

よく「アナタはいつからオタクになりましたか?」という質問を見かけることがあるが、そもそも私は生まれた時からオタクであった。

物心つく前からアンパンマンにハマり、グッズを手にしてスヤァしては各映画やキャラソンまで網羅した。いまだにアンパンマンバイキンマンのみならず、食パンマン、カレーパンマンドキンちゃん、おむすびマンまではキャラソンがわかる。

幼心ながらに、ロールパンナちゃんの「二面性」には未熟な厨二心が疼いたものだ。

 

そのままテレビをつけてはアニメを網羅し、母がマンガ好きだったことから様々なマンガを読んだ。

 

 

 

初めて「ハマった」と言えたのはおそらく『犬夜叉』であっただろう。最初にアニメを見た時は衝撃が走り、まだわずかしかなかったお小遣いで初めて大きな画集を買った。月に500円しか貰えなかったお小遣いを貰ったその日にコミックを買いに行き、母に怒られた事もある。

大人になった今でも、小学生の頃の同級生は私を見ると「なんかめちゃくちゃ犬夜叉好きだったよね」と語る。

 

 

その後、シャーマンキングテニプリヒカルの碁の三大水曜ジャンプアニメ期に突入した私は、その中でも特にシャーマンキングのハオ様にハマった。

あの頃はまだ携帯電話にカメラなんて付いていなかった。というかそもそもまだ携帯電話を持っていなかった。当時ハマっていた私たちは、VHSに録画していたシャーマンキングのオープニングを自分で買った使い捨てカメラで撮り、自分たちだけで画質の悪いブロマイドを集めていた。

 

 

当時文通をしていた友人から『封神演義』を勧められ、その時は既に完結していたコミックを友人に借り、周囲の友達と大ハマりした。あまりにハマりすぎた結果、近所で唯一主題歌を置いていたレンタルショップで初めてのカード登録をし、どこかの巻に掲載されている『藤崎竜のアシスタント日記』に書かれたセリフをほぼ全て丸暗記した。

ある日、友人が「古本屋でこんなものを見つけた」と本を持ってきた。封神演義なんだけど、なんか違う……。懐かしいな、あれこそが私が人生で初めて見た『同人誌』だったのだ。

 

 

 

中学生。ガンダムSEEDにハマった。

人生初のガンダムだったが、実を言うところ私は最初はこのガンダムSEEDが酷く嫌いであった。ただ「ガンダム」というブランドを引っさげただけで様々なランキングを網羅しているのが気に食わなかった。だが悔しいことに、最初のエンディング曲『あんなに一緒だったのに』があまりに名曲過ぎた。

「曲は聞いておこう」という安易な考えで初めてガンダムSEEDを見た私が見た回は第10話。そう、フレイ・アルスターが父を殺されてキレ散らかす回である。あの日、私は確実に性癖をゆがめられた気がした。しかも私は初めてハマったアニメ『犬夜叉』で桑島法子さんの大ファンになっていたのだ。あれ以来、今でもフレイ・アルスターは私の中でトップクラスのヒロインである。

 

真正面からBLの世界に飛び込んだのもおそらくここからだった。その頃から自由にパソコンでインターネットも見られるようになってきた為、それはそれは数多のアスキラ、キラシンなどなどを見て回ったものだった。

 

 

 

高校時代。忙しさが増して少しオタクという状態から離れていたかもしれない。しかし気になるマンガ、アニメは必ず見ていた。高校で存在感を消しつつ、オタクの友達も見つけた。

そうそう、ちょうどこの頃から私はRPGの『テイルズ』シリーズにハマったものだ。当時ゲームプレイが苦手であった私は、度々動画で見かける『テイルズオブジアビス』のストーリーが気になっていた。ゆえに、元々テイルズシリーズが大好きだった友人に「プレイして欲しい。そして私にストーリー教えて欲しい」と頼んだところ、「じゃあ代わりにテイルズオブディスティニー2をプレイして欲しい」という条件を出された。

冷静に考えたら本末転倒なのだ。自分でプレイできていたら友人にやってもらう意味が無い。しかし当時の私はあっさり「オッケー✩」と二つ返事をし、そして見事にハマっていったのだ。

 

今思えば、初めて「らんどはあとからハマるのに、気づいたら私よりハマってるよね」と言われたのはここが最初だったかもしれない。

今では当たり前のようによく言われる言葉である。

 

 

 

 

19歳。専門学校時代。この頃の私はコードギアスとデュラララにハマっていた。

 

特にデュラララでは私は見事なまでの臨也教信者であった。懐かしいな、穴があったら入りたい。いやアイツを詰めたい。

当時の私がなぜ折原臨也を心酔したのかというと、子どもの頃から私が抱えていたどうしようもない悩みや苦しみをわかってくれる、たった一言の欲しかった言葉をくれたのが他でもないこの男だったからだ。許し難い。

 

コードギアス。特にこの時期はR2をリアルタイムで見ていた。ようやく採用試験が終わるという最終日。やっと試験が終わった…これで心置き無くコードギアスが見れる…そう思って帰ったその日に見たのが、R2の最終回であった。「たった1話先の展開が読めない」という点で非常に面白かった作品だった。私は好きなアニメを聞かれたら「コードギアス」と答えるようにしている。あと1番オススメのアニメはと聞かれたら「シュタインズ・ゲート」と答える。

 

 

 

 

 

社会人。最初は暇であった。

なにしろ当時友人たちの中で働いているのは私ただ一人であり、まわりは大人ばかりで話が合う人もおらず、友人たちはキャンパスライフが楽しくて私に構ってる暇がない。結果として最初は時間と金だけが溜まりに溜まっていった。

しかし私はオタクだった。ひとりで金と時間を費やすものを見つけることに長けていた。結果として私はこの頃から二つのものにハマった。

 

 

ひとつは歌い手。ニコニコ動画を見漁っていた私はVOCALOIDや歌い手さんの存在を少しずつ知った。その頃はまだ「歌い手」と呼ばれてはいなかったが、陰ながらその歌唱力を披露していた人達を探し続ける日々。楽しかった。そして数年の後、最推しとなった「伊東歌詞太郎」さんにハマり、いわゆる「おっかけ」というものになり、ライブ遠征の旅を駆け巡る事になった。

 

 

もうひとつは乙女ゲーム。きっかけはたまたま見かけた「薄桜鬼」とはなんだ?という所から始まった。

調べてみたその翌日、私は早速ゲームを買っていた。我ながら早い。しかしその頃の私はまだ乙女ゲーム界の仕組みを理解していなかった。初めて買ったゲームはファンディスクと呼ばれる、いわゆる「本編」ではなく「おまけ」の方だった。そしてそれからは乙女ゲームについても勉強し、様々な乙女ゲームに手を出した。今では曲を聴くだけで何の乙女ゲームの曲かわかるほどになった。

 

またその頃からアニメ『うたプリ』にハマった事も要因の一つといえる。この頃の私はうたプリ乙女ゲームとして素直に楽しんでプレイしていたし、アニメにおいてはもはやただのギャグアニメとして見ていた。まさかその数年後、あんなことになるとは、この頃の私は露とも思ってなかったのだ。

 

 

 

 

 

そしてさらにその数年後。私の生涯のオタク人生にある革命が起こる。

 

 

刀剣乱舞』が始まったのだ。

 

 

この作品を転機としてあげる人は私以外にもいるのではなかろうか。ご存知一世を風靡した、わかりやすく言うなら「刀の擬人化」ゲーム。

前々から『有名な刀をメインにした作品が出来ればいいのに』と願ってやまなかった私としては待ちに待っていたかのような作品。

 

刀剣乱舞にハマり、これまで「ニコニコ動画とpixivを見る」ことしかしてこなかった私のオタク活動は一変した。

 

MMDを見始める

・イベントというものに行く

・コスプレに手を出す

・同人誌を集め始める

2.5次元舞台というものを見る

・むしろイベントに参加する側になる

・むしろイベントのスタッフになる

 

刀剣乱舞という巨大なジャンルに足を入れたことにより、私のオタク活動は一気に激化した。この作品に出会えてなかったら私はどうなっていたのだろうか。

 

そしてここで私は初めての『沼』を経験する。

それが私の初代沼であるへし切長谷部である。

真面目で整ったお顔。それに反するように様子のおかしいその姿。あとその衣装のひらみ。

彼に出会ったことにより、『沼』とは『ハマる』とはまた少し違った、いついかなる時でも考えてしまう、蟻地獄のようなものだと言うことを知ったのだ。

へし切長谷部こそ私の初の沼であり、どんなジャンルに足を突っ込んでも一度は帰ってくる『実家』と化した。

 

 

 

 

それから私の沼生活も次々流れていった。

『あんスタ』では朔間零の沼にハマり、その後アイナナやA3にも手を出し、安室の女という肩書きを経て、ヒプマイにも手を出した。私のハマる速度やオタク活動、同人誌を買う量は留まるところを知らなかった。

 

 

 

こうして加速した私のオタク活動。

しかし毎月およそ数万円分の同人誌を買い集めていた私が、同人誌を買わなくなるという、あらたな事件が発生した。

 

 

 

 

 

うたプリ』ブームの再来。

 

 

数年前に通り過ぎたジャンルに、こうしてまた再度沼落ちするなど一体誰が予想出来ただろうか。

当時映画となったうたプリに連れていかれた私は、その沼への入り方に違和感を覚えた。

 

 

拒否。

 

 

これまで気になっていたものに真正面から突っ込み、ハマったものには大きな声で高らかに宣言し、好きなものをあれよあれよと求めていた私が。

 

「ここは嫌だ」と、初めて明確に拒否した。

 

ここだけ見ればまるで「心霊現象のあるホテルの部屋に泊まらされそうになってる人」のようだがあながち間違ってはいない。それぐらい恐ろしかった。

一度やり過ごした沼だったことはもちろん、それまで歯牙にもかけていなかったキャラに落ちそうだったからだ。

 

そして私はここで学んだ。人は、いやオタクは「沼に抗えば抗うほどより深刻な落ち方をしてしまう」ということに。

 

 

 

 

 

 

そして現在。

私はその教訓を胸に、いまだにうたプリの沼にいながら、最も数多くの人が落ちることを恐れるという最大手沼、『ジャニーズ』沼へと足を踏み入れている。嘘です。全身浸かっている。

 

 

 

 

ここまで長々と語ってしまったが、そもそもなぜ私が突然ブログを書き始めたのかというと。

 

 

 

 

簡単です。

 

 

語りたいからです。

 

 

 

オタクは好きなものを語らないと死ぬんです。そういう生き物なんです。でも最近語るところがないのです。職場でも家でも、都合上一人でいることを強いられている私は、さらにコロナ禍と言う地獄で長いこと語りの場を失ったのだ。

 

 

語らせろ。なんでもいい。

 

私の好きな、くだらないことを延々と嫌になるくらい語らせろ。

 

 

 

ここは私がただ語りたいことを延々と語ることを目的としたブログだ。